- 明治23年(1890)
- 青木梅太郎誕生
- 明治43年(1910)
- 青木梅太郎 静岡県庵原郡吉原にて棟梁として請負業開始(創業年) 1910~1935年
- 大正3年(1914)
- 青木廣吉誕生 この頃から梅太郎大きな家を請負い始める
1914年(大正3年)廣吉誕生。初代青木梅太郎。長男勉作。次男廣吉(二代目)。初代青木梅太郎。長男勉作。次男廣吉(二代目) 1920年頃、200坪の現存する医院 1920年頃、現存する住宅 1920年頃の剛床構造 ケヤキの大黒柱と差し鴨居 1915年頃剛床になっていない 1915年頃剛床になっていない 1935年廣吉大工修業後、兵役に就く。
その為、農業に専念。88歳で亡くなった時、大勢の弟子が弔問に来て棟梁であったことを知る。
廣吉兵役を南方にてマラリアにかかり、昭和15年(1940年)日本に戻る。
その後、大工として東京・神奈川で仕事をし、昭和17年(1942年)職人3人と大和の厚木基地の請負をはじめ、大和に定住。
- 昭和17年(1942)
- 青木廣吉(二代目)清水市青木梅太郎棟梁の下を離れ大和市深見に居住、職人三人と大工工事業として請負を開始 1942~1978年
- 昭和20年(1945)
- 青木宏之誕生(現会長)
昭和20年(1945年)生まれ 1950年頃 小学校1年(1951年) 高校生
- 昭和26年2月(1951)
- 大和市大和南1-12-23に作業所付住宅を建築、青木工務店として一般木造注文住宅建築請負業を開始(この日を開設日と定める)
青木工務店として一般木造注文住宅建築請負業を開始
工務店開設時、大和南(1951年) 1960年頃。廣吉と梅太郎と木目田さん 1960年頃。廣吉と梅太郎 青友会旅行にて 2台目オート三輪ハンドル 電話:大和164番(1950年代) 1950年頃。1台目角(つの)ハンドルオート三輪と鶴田棟梁 1950年頃。会長・鎌田・たっちゃん 1950年頃。鎌田・みちお・鶴田・新藤 前島・鎌田 1960年頃。太平住宅の現場 1965年頃。太平住宅の現場 1960年頃。吉野坪岡林業 1960年頃。初荷 1960年頃。作業所 1965年頃。事務所前
- 昭和28年4月(1953)
- (太平住宅株式会社の指定工事店となる
1950年代の金融公庫住宅 (廣吉作) 1950年代の上棟 隣の家も当社施工 隣の家の前島棟梁
- 昭和35年2月(1960)
- 資本金100万円で同地に有限会社青木工務店として法人となる
昭和40年頃の旧本社 昭和43年頃の住宅 昭和41年のオールスタッフ 会社組織で大きな家を請け負う 深見神社屋根葺き替え 旧本社作業場上葡萄棚 昭和35年当時の青木廣吉
- 昭和46年1月(1971)
- 青木宏之(現会長)入社
- 昭和49年11月(1974)
- 青木哲也誕生(現社長)
二代目廣吉と四代目哲也 ロサンゼルス動物園にて三代目と四代目 二代目廣吉・三代目宏之・四代目哲也 ゴールデンゲートブリッジ前 ビバリーヒルズハンバーガー店 ラスベガス大通りにて 1976年頃 1977年頃。旧自宅前にて 1979年頃。旧本社前 1979年頃。2代目廣吉 1982年頃。旧プラザA 1981年頃 1985年頃。塩原。 1985年頃。メキシコ。 1986年頃。年男12歳。天満宮 1987年頃。韓国。2代目廣吉と
- 昭和50年12月(1975)
- 資本金1000万円に増資すると共に、株式会社に組織変更
- 昭和52年11月(1977)
- (旧)本社青木ビル「A-1ビル」を新築、鉄骨・鉄筋造の建築を開始する
1977年1月7日仕事始め(旧本社ビル)
- 昭和53年3月(1978)
- 青木宏之(三代目)代表取締役に就任 1978~2006年
牛頭工務店チームと 昭和55年頃家族旅行 和50年家族旅行 昭和45年家族旅行
- 昭和56年5月(1981)
- 開業30周年を祝う
- 昭和57年4月(1982)
- 資本金2000万円に増資すると共に特定建設業の許可を得、鉄骨鉄筋造の施工部門を強化し、総合建築業としての発展を計る
- 昭和58年3月(1983)
- 栃木県塩原に丸太作りの厚生施設(ひろきち小屋)開設
1960年頃。吉野市場 1960年頃。吉野市場 1973年頃。山形 1973年頃。山形。森 正彦君と廣吉 1980年頃。旧作業所 1980年頃。旧作業所内 1975年頃。旧本社前自宅 1977年頃。旧本社鉄骨 1985年頃。広瀬春吉さん・木目田さん木こりペア 1985年頃。広瀬春吉さん・木目田さん木こりペア 2000年頃。秋田工場(能代) 1980年頃。天満宮水屋 1999年頃。天満宮神楽殿 12mの材料 12mの材料 300×300の合わせ梁 7.2m×9mの舞台 盆踊り櫓。金物接合
- 昭和58年12月(1983)
- 地場工務店としての発展の為、太平住宅株式会社の昭和28年からの工事店契約を解約
- 昭和59年1月(1984)
- 「A-2ビル」開設
- 昭和59年3月(1984)
- 施主仮住まい用共同住宅「コーポA」開設
- 昭和61年9月(1986)
- 東南アジア、アメリカより建具、家具、内装材、木材の直接買い入れを始め、軸組工法でムク材による輸入建材住宅を商品化
- 平成元年10月(1989)
- 神奈川県建築コンクールにて岡本邸住宅部門優秀賞受賞(輸入建材住宅)
- 平成2年5月(1990)
- 資本金4500万円に増資する
- 平成3年3月(1991)
- 大和市深見に、高断熱高気密実験アパート「アーバンA」新築
- 平成3年12月(1991)
- 大和市福田の旧工場地に事務所・工場・倉庫一体ビル新築、本社を移転し営業開始。新しいスタートを計る
旧本社(駅前営業所) 旧作業所 現本社
- 平成7年4月(1995)
- 労働省公認 事業所内訓練校「番匠塾」開設 大工の養成に本格的に取り組む
広域認定職業訓練校 木工技能育英会「番匠塾」 (1995年開設)番匠塾とは・・・
「このままでは大工技能を引き継ぐ若者がいなくなる」と、首都圏の工務店5社が集まって設立した、広域認定職業訓練校です。番匠塾では、若い大工の卵たちが、一人前の職人となるために技能を身に付けるとともに、これからの住宅産業の担い手として、広範な知識を習得するため、勉強をしています。青木工務店では、番匠塾で、新しい人材の育成に取り組んでいます。フレーマーと体験実技-北米オレゴン州にて 作業所内にて 卒業検定(棒角) 規矩術授業風景 座学 一期生初めての上棟 塩原合宿 広吉弟子から宏之弟子へ シアトル夫婦フレーマーと 番匠塾座学 墨付け加工。芝工大屋上。藤澤先生
- 平成8年8月(1996)
- 大和東に耐震、高断熱、防音、省エネ、健康、バリアフリーと、今までの集大成としてモデルハウス木造3階建都市型住宅「大和東の家」開設
- 平成10年4月(1998)
- 財団法人日本住宅・木材技術センター番匠型住宅合理化システムが認定される
- 平成11年10月(1999)
- 住宅産業界に貢献があったとし、建設大臣表彰を受ける
- 平成12年4月(2000)
- 青木哲也(現社長)入社
- 平成12年9月(2000)
- 「ストック住宅提案募集」で建設大臣賞を受ける
- 平成12年10月(2000)
- 開業50周年を祝う
式典ご祝辞 お得意様に花束贈呈 開会の言葉 懇親会 ハーモニカ演奏 鏡割り
- 平成13年4月(2001)
- 若者組織ユース21発足→A0会
セミナー セミナー ベテランタイル屋さんによるセミナー 和歌山の山林見学 和歌山の山林見学 山長会長による木の太り方セミナー 集合写真
- 平成14年3月(2002)
- 20年前に建てた別荘を断熱機密自然素材をテーマに実験的に増改築
- 平成15年10月(2003)
- 国際品質規格認証ISO9001;2000取得
- 平成18年2月(2006)
- 青木哲也(四代目)代表取締役に就任
- 平成20年8月(2008)
- 日本で始めて長期優良住宅先導モデルを手がける
詳細は →こちら
- 平成21年10月(2009)
- 神奈川県建築コンクールにて富士見町の家で2回目の住宅部門優秀賞受賞
- 平成22年2月(2010)
- モデルハウス「かながわ200年住宅」完成
外壁に無垢の杉板を張る(準防火地域) 木製の独立したベランダ 初代・2代・4代寅年のシンボル 玄関より坪庭を通して居間を臨む 木目が美しい表しの天井と、ダイニングのペレットストーブ 居間の掘りこたつ 詳細は →こちら
- 平成22年10月(2010)
- 創業100周年を祝う
社長あいさつ 50年勤続木目田親方 狩野棟梁の大臣表彰状 狩野棟梁 三代に渡り取引。相模板金山下氏 藤澤先生基調講演 青木会長100年の歴史 式典参加者 社長・会長・会長夫人 懇親パーティー古木商工会議所会頭代行あいさつ 河合さん・藤澤先生・会長 懇親会 懇親会 懇親会 懇親会 弦楽四重奏 工務店友人と蟹沢先生 社長・会長 社長・会長 新井棟梁会会長十締め 受付風景
- 平成27年2月(2015年)
- 第6回サステナブル住宅賞にて「八雲の大屋根・小屋根」にて国土交通大臣賞を受賞
国土交通大臣賞を受賞 国土交通大臣賞を受賞
- 平成30年8月(2018)
- 一般社団法人全国木造建設事業協会より主幹事工務店を拝命。
任命書
- 令和4年10月(2022)
- スタッフのES向上を目的に企業型確定拠出年金制度(SBIベネフィットシステムズ)を導入。
SBIベネフィット・システムズ株式会社 (benefit401k.com)