1914年(大正3年)廣吉誕生。
初代青木梅太郎。長男勉作。次男廣吉(二代目)。
1935年廣吉大工修業後、兵役に就く。
その為、農業に専念。88歳で亡くなった時、大勢の弟子が弔問に来て棟梁であったことを知る。
廣吉兵役を南方にてマラリアにかかり、昭和15年(1940年)日本に戻る。
その後、大工として東京・神奈川で仕事をし、昭和17年(1942年)職人3人と大和の厚木基地の請負をはじめ、大和に定住。
1914年(大正3年)廣吉誕生。
初代青木梅太郎。長男勉作。次男廣吉(二代目)。
その為、農業に専念。88歳で亡くなった時、大勢の弟子が弔問に来て棟梁であったことを知る。
廣吉兵役を南方にてマラリアにかかり、昭和15年(1940年)日本に戻る。
その後、大工として東京・神奈川で仕事をし、昭和17年(1942年)職人3人と大和の厚木基地の請負をはじめ、大和に定住。