青木工務店熊本研修旅行①

先週の金曜日から日曜日にかけて2泊3日の期間、スタッフ皆で熊本研修旅行に行ってまいりました。

2年前の熊本地震の発災から復興まで、地元工務店の活動がどうだったのかを直に見て聴いて神奈川県での災害に備える体制を青木工務店で作り上げていくことが狙いです。

その他にも木造中大規模建築の視察、熊本の観光地もめぐりました。

空港から先ず向かったのは被害が最も大きかった場所の一つである、西原村です。

倒壊した住戸が多くあり木造応急仮設住宅も多く建てられました。そしてその後、買取型復興公営住宅という公共工事でありながら地元工務店も取り組みやすいスキームが県主導で計画され、一番手にその取り組みに名乗りを上げたのが西原村でした。

公募から完成まで1年未満のタイトなスケジュールで行われたプロジェクトでしたが、地元設計事務所とエバーフィールドさんで造られた住宅群の小さな町を散策しました。

西原村からは震災復興推進課の山田係長がご対応いただきました。お忙しい所ありがとうございました。

経緯や行政の思いや考えなども直接伺うことができ、貴重な機会となりました。全木協の木造応急仮設住宅に続き、これまでの公営住宅に無い高品質で低コストな地元工務店が建てる公営住宅は九州エリアでも話題となり、視察が続いているそうです。

そしてそして、全木協熊本県協会の会長でエバーフィールドの久原社長も私たちを迎えご説明いただきました。

私達の訪問はお会いした時にお話しておりましたが、ご多忙だろうとあえてお声がけしていませんでした。しかしこうしてさらりと登場されるとは、本当に親切で思いの深い方です。

発災当時熊本県と災害協定を締結していない所から、当時のJBN会長だった父から要請を受け、そこから復興までの道筋で熊本工務店ネットワークを引っ張り続け、そしてまた全国の工務店にその経験を伝えてくださっております。苦労した話、憤りを感じた話などは私たちもその立場になった時に役立ちます。

今後の進め方についても大いに参考になりました。本当にありがとうございました。

続いて震源地となった益城町へ。車をおり、街を散策します。私は1年半ぶりの訪問でした。

倒壊した建物の撤去は終わり、空き地が目立ちます。傾いていた電柱、ゆがみ崩れていた道路は整備され、住宅も建て替えが進んでおります。残る地震の爪痕は街角にありました。

地元の区長で、倒壊した木山神社の総代でもある中村さんが震災時の生々しい様子を語ってくださいました。

助かった話、有難かった話、地元からの声など良い事も悪かった事もお話しくださいました。思い出して目に涙が浮かんでおり、心の傷は深いものなのだと改めて感じました。

熊本県は地震に対する意識は比較的低かった事に加え、本震の前の大きな余震、繰り返される大きな余震など前例のない出来事で住民は混乱しました。

続いて地元益城町のJBN工務店、村田工務店の村田社長の自宅を見学しました。村田工務店さんも100年以上続く工務店で村田社長も私と同じ4代目です。

村田さんの自宅も地震で倒壊してしまい、お客様の対応がひと段落して、つい先日ようやく自宅を建て替えられました。

在庫の資材と、村田工務店の最大の特徴である手刻みの技術がふんだんに表現された豪邸です。どの部屋のどの部位にも思いが込められております。

自宅の再建にともない、ご両親はこの場所を離れて村田社長が引き継ぐことになったそうです。

普段から明るい村田社長ですが、同じ社長同士としてちょっと真面目な話もする機会となりました。

樹齢数百年という杉材は玄関の一枚扉の他に和室の座卓にも使われておりました。
偏木も床の間に使われており、大工技術の高さが良くわかります。棟梁は38歳ということです!

村田邸の前で記念撮影。

先日の見学会では沢山のご来場者があったと聞いております。この先も益城町の復興のシンボルとなりますように。

村田社長、ありがとうございました。

ホテルのチェックイン前には、陽が落ちる前に熊本城へ。まだ再建半ばでお城には入れませんが、改修の様子は見ることができます。

石垣が崩れてしまったことはニュースでも良く聞いていると思いますが、崩れた石垣の石の裏に観音様が見つかった話がありました。実際に展示されておりましたが、いつどのような経緯で掘られたのか、歴史ロマンを感じさせます。

堀の石垣はまだ手付かずのものもありました。何とも言えない光景です、、、。

石垣の石は綺麗に広げられて、再建にむけて整理されております。

時間はかかるでしょうが、熊本の心の支えでもある熊本城の完全修復が県民にとって待ち遠しい事です。心の傷の癒えとお城の完全な姿が重なる様な気持ちになりました。