青木宏之(三代目)代表取締役に就任
昭和45年家族旅行
和50年家族旅行
昭和55年頃家族旅行
牛頭工務店チームと
1977年1月7日仕事始め(旧本社ビル)
二代目廣吉と四代目哲也
ロサンゼルス動物園にて三代目と四代目
二代目廣吉・三代目宏之・四代目哲也
ゴールデンゲートブリッジ前
ビバリーヒルズハンバーガー店
ラスベガス大通りにて
1976年頃
1977年頃。旧自宅前にて
1979年頃。旧本社前
1979年頃。2代目廣吉
1982年頃。旧プラザA
1981年頃
1985年頃。塩原。
1985年頃。メキシコ。
1986年頃。年男12歳。天満宮
1987年頃。韓国。2代目廣吉と
昭和40年頃の旧本社
昭和43年頃の住宅
昭和41年のオールスタッフ
会社組織で大きな家を請け負う
深見神社屋根葺き替え
旧本社作業場上葡萄棚
昭和35年当時の青木廣吉
1950年代の金融公庫住宅 (廣吉作)
1950年代の上棟
隣の家も当社施工
隣の家の前島棟梁
青木工務店として一般木造注文住宅建築請負業を開始
工務店開設時、大和南(1951年)
1960年頃。廣吉と梅太郎と木目田さん
1960年頃。廣吉と梅太郎 青友会旅行にて
2台目オート三輪ハンドル 電話:大和164番(1950年代)
1950年頃。1台目角(つの)ハンドルオート三輪と鶴田棟梁
1950年頃。会長・鎌田・たっちゃん
1950年頃。鎌田・みちお・鶴田・新藤
前島・鎌田
1960年頃。太平住宅の現場
1965年頃。太平住宅の現場
1960年頃。吉野坪岡林業
1960年頃。初荷
1960年頃。作業所
1965年頃。事務所前
青木廣吉誕生 この頃から梅太郎大きな家を請負い始める
昭和20年(1945年)生まれ
1950年頃
小学校1年(1951年)
高校生
1914年(大正3年)廣吉誕生。
初代青木梅太郎。長男勉作。次男廣吉(二代目)。
初代青木梅太郎。長男勉作。次男廣吉(二代目)
1920年頃、200坪の現存する医院
1920年頃、現存する住宅
1920年頃の剛床構造
ケヤキの大黒柱と差し鴨居
1915年頃剛床になっていない
1915年頃剛床になっていない
1935年廣吉大工修業後、兵役に就く。
その為、農業に専念。88歳で亡くなった時、大勢の弟子が弔問に来て棟梁であったことを知る。
廣吉兵役を南方にてマラリアにかかり、昭和15年(1940年)日本に戻る。
その後、大工として東京・神奈川で仕事をし、昭和17年(1942年)職人3人と大和の厚木基地の請負をはじめ、大和に定住。
神奈川県大和市の青木工務店 品質方針は「社会、地域に必要とされる工務店であり続ける為の魅力ある家作り」