昨日は青木工務店の歴史が始まった静岡県へ、会長夫妻、藤澤先生、カメラマンとして黒川さんと行って参りました。
当時は「名棟梁」として名の通っていた曾爺さんの梅太郎はどのような家を作ってきたのか、今回住まわれている方々の御好意で見学をさせていただき、お話を直接伺いました。
場所は当時庵原村と呼ばれた静岡市清水区です。高低差の激しい山間の地域です。
梅太郎は最後に自宅を建てて大工職を辞めました。築77年です。
祖父廣吉の直ぐ下の弟である重三さんは94歳でも元気でこの家に住んでおります。
地松の剛床構造で作られております。今も通じる技術です。
差鴨居でぐるりと囲まれて固められておりました。
他にも2件、築90年から80年の建物を見せていただきました。これは12Mある地松の丸太梁です。
ケヤキの大黒柱。良材を確保できたのは場所柄か、棟梁に力があったからなのか。
大黒柱の根元を固める根絡みもケヤキでした。これならば基礎は要らないかもしれませんね。
街に下りて、地域では有名な杉山医院も梅太郎の作った建物でした。250坪で、地域最大の木造建築です。
度重なる戦火、震災を経て現在も現役で使われております。2代目の先生が詳しくご説明していただきました。
至る所に当時の面影が残ります。
「古い建物を維持していくのでおかげで建築に詳しくなったよー」と杉山先生が豪快に笑っておりました。
戦火を逃れ、沢山の被災者をこの病院が受け入れたそうです。
そのゲンもあって先生は大切に残すようにしてくれたと思います。作り手、住まい手が一緒にならなければ残せ無いのだと改めて知らされます。
今回の訪問をパンフレットにまとめて作成する予定です。気を引き締めて、今後とも頑張っていきます。